6.29.2010
Between this world and that world.
インドと聞いて、まず思い浮かべるのは、
カレー
ターバン
タージマハル
そしてこのガンジス河のあるバラナシだ。
インドのある都市と知った当初は、バラナシは中南米にある都市だと思ってました。
学校で習ったのか、テレビで聞いたのか、
その河では、人が通る目の前で死体を焼いている火葬場があると知って、
おっかなびっくり、興味津々だった。
*******
それから十数年後の7月、バラナシへ。
26時間の電車から降り立ったバラナシは
インドらしいけど、他の町とどこか違った雰囲気を持っていた印象がありました。
ガタンガタンと、はたおり機の音
学校までお見送りするおじいちゃんと手をつなぐ子供。
自転車で牛乳を運ぶミルクやさん
井戸端会議するおばちゃん。
お寺におまいりにきたおじいちゃん。
インコ入りのおりかご。
八百屋のリヤカー
サイクルリキシャー
狭い路地に寝そべる牛
お参り用のマリーゴールドを売る売り子さん
チャイ屋さん
ランニングシャツと腰巻一丁のおじちゃん
窓からぶら下がる洗濯物
駆け回る子供達
サル・・・犬・・・
ガンジス河沿いの迷路のような路地に迷い込めば、そこは一般の住居であり、
すごい近くでインドらしい生活を垣間見ることができました。
みんなガンジス河で沐浴をする傍ら、
ある場所だけ、雰囲気がガラッと変わるところがある。
それが火葬場だった。
火葬場というと、ガンジス河には二つあって、
マニカルカーガートは、そこはやはり他のガート(ガンジス河のそばにあるいくつもの沐浴場)とはかなり異なっていて、私たち外国人にはかなり異様に思えたのは否めない。
すすで周りの建物も黒く、無造作に薪が山積みされ、あちこちから死体を焼いている煙が出ている。
私の足元には、担架と布でぐるぐる巻きにされた遺体がいくつも火葬場の順番待ちをしている。
親族は特に泣くこともなく、喪主を務める息子は白い服を着て、頭は坊主にてっぺんだけちょろっと髪を残して、最後に残った頭蓋骨の一部をガンジス河へ流します。
火葬の前の儀式もにぎやかな太鼓や、お花でちりばめられてまったく悲壮感はありません。
そんな雰囲気なので、インド人はそばで
チャイを飲んでくっちゃべったり、洗濯したり、
子供たちはクリケットしたり、ガンジス河で泳いだりしている。
でも、そういうのがすごく詩的というか、「死」は生活の一部、
いつやってくるかわからないけれど、誰にでも起こりうること。
だから、死がごく自然に市民の生活と溶け込んでいるのは自然な流れ。
そこがなんか私はとても天界と下界の狭間にいるような感じがして、
とても神秘的だと感じるし、
またこれがインド人ならではの宗教観だと思うし、
無宗教な日本人なんか特に、その感覚を理解するのはなかなか難しいと思う。
荼毘に完璧に付されるまでに3時間もかかるという、
その遺体が燃やされる姿をチャイを飲みながら、遠くからボーっと眺め、
宗教や哲学にふけっていたバラナシ10日間でした。
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