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11.12.2010

Ramadan in Bangladesh

ラマダンが始まったのは、私がバングラデッシュ入りする数日前。
すでに旅の途中で友達になっていた、カシミール人が携帯から、
「暑いし、お腹はすくから、店で扇風機に当たって死んでる」と電話が入った。
南アジア圏で夏ラマダンをするのは相当きついと思う。いや、中東もか。

でもラマダンはいつも夏やっているわけではなく、ちゃんと周期があり、
去年のラマダンから数えて、11日前に始まるのだそうで、
33年かけて、ちょうど季節を一巡するらしい。
ラマダンはイスラム教の五行のうちのひとつであり、まじめじゃないムスリムも
ちょっとラマダンを頑張ってみたりするようだ。(毎日じゃないらしいが)

バングラデッシュに着いても、ラマダン中という雰囲気はなく
いたって皆普通に生活していた。
そのかわり、ラマダン中はアザーン(お祈りが始まりますよーというお知らせ)が始まると
モスクにお祈りに行く人が多かった気がする。

もちろんお祈りはモスクに行かなくてもできる。
たいていの家にはお祈り専用のマットがあって、
皆その上でお祈りする。(中にはマットに、メッカの方向を指すコンパスまでついてるのもある。)
お祈り前には、手や、足、顔などを清め、バングラデッシュの場合、
男性は白いムスリム帽を被ってお祈りし、女性はスカーフを被る。

いつも思うのだが、国や言葉が違うのに、
皆「アッラーフ・アクバル」から始まるアラビアの言葉を一斉に独唱する姿は
何か不思議だな、といつも思わせる。
宗教の神秘だな、ほんと。

お祈りはモスクや家はもちろん、職場でさえも皆、いったん手を休め、
お祈りのために時間をとる。これもまた全員ではないですが。

私はちょうど昼前のお祈りのときに、あるビルにいたのですが、
階段から下に下りようとしたところ、下の階のオフィスでみんな一斉にお祈りしているではありませんか!



5 time prayer from Hitomi on Vimeo.



こんな風に、お祈りしているので、終わるまで待っていないとなりませんでした。笑
しかもお祈りは場所を選びません。



ここはなんと集団でビルの上で。
どんなところでもお祈りする熱心な方々です。


ラマダンは、まったく食べてはダメというわけではありません。
1ヶ月もやってたら死んじゃいますからね。
夜明けと日没、つまり日が出ていない時であれば食事可能なようです。



昼間っから、バングラデッシュはIftar(イフタール)という、日没過ぎた後に食べる
スナックなどを売っていました。要するに晩御飯みたいなものですね。
ファストフード店などは、上の写真のようなイフタールセットが出回り、
定食屋さんも外に出店を出して、イフタールを売っていたり、ちょっとしたお祭り気分。

私がお邪魔させてもらった家では、果物やナッツ、揚げ物を主にイフタールとして食べていて、
その後、ガッツリ夕飯のカレーを食べていました 笑




こちらはコックス・バザールからダッカへ帰る途中に立ち寄ったレストラン。
時刻は夜中の3時。店内は私の乗ってたバスのお客や、他の客で満員。
夜中の3時なのに、メシはカレー大盛りで!がデフォルト。笑
「あ、あのぅ~まだ眠いし、全然お腹すいてないんですが・・・」
お母さん「いいからしっかり食べときなさい」
お父さん「ほら、もっともっと食べないと!夜明けが近いよ!」
あの・・・その前に私ムスリムじゃないんですが・・・。

バングラデッシュでラマダンを体験して思った・・・。
ラマダンは過酷な修行だと思っていたんですが、
結局、日没から明け方にかけて食べまくって、体重をプラスマイナスで考えると、
たぶんプラスなんだと思う、ホント。
チュニジア人の友人のお父さんはラマダン中、夜中2時間ごとおきに起きて、お祈りして、
食事をするんだそうだ・・・。過酷!眠れない!

ラマダンは
夜食べてはいけないダイエットルールを根底から覆す、食事制限でした。笑

8.04.2010

What you believe



ヒンドゥー教はとにかく派手。
青い顔した神様や、千手観音みたいな人がいっぱいいて、
すごく俗っぽいというか・・・笑
日本の七福神も実は何人かはヒンドゥー教の神様だって知ってましたか?
ブッタだってヒンドゥー教のある神の化身とみなされてるし。
おそるべしヒンドゥー教。





ヒンドゥー教以外に、
イスラム教や、ジャイナ教を信仰する人達のおうちにもお邪魔しましたが、
生活の一部にお祈りや、お供え、礼拝などが、
ごく普通に溶け込んで、慣れた手つきでその作業を行う姿は
なんかとても不思議。
何も信仰しない私にとってはとっても神秘的に写るのでした。

イスラム教を信じる人に
「なぜ人はこの世に生まれて、何のために生きているのか?」
「死んだ後の魂はどこにいくのか?」
などと質問され、私にはとても難しすぎる質問でしたが、
彼らによると、宗教がその質問に答えてくれるらしいです。

んーーー、難しいなぁ、宗教って。
やっぱり簡単になれるものではないね。

7.16.2010

Organic farm food



インドは世界まれにみるベジタリアンの国。
そのためか向こうの人は豆類をとにかくよく食べる。
乾燥してるので、きっと保存期間も長いからでしょうね。

まぁ、どう調理するかといったら
カレーに入れるくらいしかないのですが、
豆の種類によって、入れるスパイスを変えたりしているので、
豆カレーと一口にいえど、
さまざまな味があるわけです。

ここで代表的なインドの豆。

チャナ→ヒヨコ豆(別名ガルバンゾー)
ダール→レンズ豆
チャナダル→ヒヨコ豆系のものを半分にしたもの
ラジマ→金時豆

お気に入りはラジマ。
トマトベースが強いカレーと食べると美味。
インド版チリコンカン風にしてもおいしいかも。






さて


私は現地で何回かオーガニックファームステイをしていました。
最初にお邪魔したお宅はダラムサラというダライラマのお膝元で、
ヒマラヤを背に、広大な麦畑が広がり、山々に囲まれた大自然の中にあるお宅でした。


ある朝食のメニュー(写真2枚目)

裏庭で取れたグァバとパパイヤ
自分の畑育てた小麦粉で作った、チャパティと自家製パン
家庭菜園でとった野菜の炒め物
飼っている牛から取れたミルクと、
近所の茶畑からもらった茶葉と、
これまた自分でもっているミツバチの巣からとったハチミツを使ったチャイ

なんて素敵なんでしょう!
このプレートの食材すべて100%自給自足です。
もちろん味だって最高。

滞在した10日間はほぼすべて自分たちの畑で取れたものを使い、
自分たちで火をおこし、調理をしていました。


汗を流して育てたものをおいしく調理して、大自然の中で頂く。
こんな田舎生活あこがれます。

6.29.2010

Between this world and that world.




インドと聞いて、まず思い浮かべるのは、
カレー
ターバン
タージマハル
そしてこのガンジス河のあるバラナシだ。

インドのある都市と知った当初は、バラナシは中南米にある都市だと思ってました。
学校で習ったのか、テレビで聞いたのか、
その河では、人が通る目の前で死体を焼いている火葬場があると知って、
おっかなびっくり、興味津々だった。






*******



それから十数年後の7月、バラナシへ。

26時間の電車から降り立ったバラナシは
インドらしいけど、他の町とどこか違った雰囲気を持っていた印象がありました。

ガタンガタンと、はたおり機の音
学校までお見送りするおじいちゃんと手をつなぐ子供。
自転車で牛乳を運ぶミルクやさん
井戸端会議するおばちゃん。
お寺におまいりにきたおじいちゃん。
インコ入りのおりかご。
八百屋のリヤカー
サイクルリキシャー
狭い路地に寝そべる牛
お参り用のマリーゴールドを売る売り子さん
チャイ屋さん
ランニングシャツと腰巻一丁のおじちゃん
窓からぶら下がる洗濯物
駆け回る子供達
サル・・・犬・・・


ガンジス河沿いの迷路のような路地に迷い込めば、そこは一般の住居であり、
すごい近くでインドらしい生活を垣間見ることができました。






みんなガンジス河で沐浴をする傍ら、
ある場所だけ、雰囲気がガラッと変わるところがある。
それが火葬場だった。

火葬場というと、ガンジス河には二つあって、
マニカルカーガートは、そこはやはり他のガート(ガンジス河のそばにあるいくつもの沐浴場)とはかなり異なっていて、私たち外国人にはかなり異様に思えたのは否めない。
すすで周りの建物も黒く、無造作に薪が山積みされ、あちこちから死体を焼いている煙が出ている。
私の足元には、担架と布でぐるぐる巻きにされた遺体がいくつも火葬場の順番待ちをしている。
親族は特に泣くこともなく、喪主を務める息子は白い服を着て、頭は坊主にてっぺんだけちょろっと髪を残して、最後に残った頭蓋骨の一部をガンジス河へ流します。

火葬の前の儀式もにぎやかな太鼓や、お花でちりばめられてまったく悲壮感はありません。


そんな雰囲気なので、インド人はそばで
チャイを飲んでくっちゃべったり、洗濯したり、
子供たちはクリケットしたり、ガンジス河で泳いだりしている。



でも、そういうのがすごく詩的というか、「死」は生活の一部、
いつやってくるかわからないけれど、誰にでも起こりうること。
だから、死がごく自然に市民の生活と溶け込んでいるのは自然な流れ。

そこがなんか私はとても天界と下界の狭間にいるような感じがして、
とても神秘的だと感じるし、
またこれがインド人ならではの宗教観だと思うし、
無宗教な日本人なんか特に、その感覚を理解するのはなかなか難しいと思う。


荼毘に完璧に付されるまでに3時間もかかるという、
その遺体が燃やされる姿をチャイを飲みながら、遠くからボーっと眺め、
宗教や哲学にふけっていたバラナシ10日間でした。

6.04.2010

Amritsar



インド旅行中はブログ書くつもりだったけど、
結局全然できなかったので、今こうやって振り返ってみようとおもいます。

思い出せば出すほど、帰りたくなっちゃうな。


まず一発目はインドの比較的北に位置するパンジャーブ州のアムリトサルという、シーク教の聖地です。
ここは、陸路でパキスタンへ抜ける際の国境地点でもあります。

シーク教はあのターバンをつけてひげをはやしている、ザ・インド人の象徴ともなる人達です。
しかしながらシーク教徒はインドの人口のたった2%ほどにしかすぎないにも関わらず、
インド人のイメージはこのシーク教徒の格好を私たちが想像してしまうのはなぜなんでしょう。

私がここにいたのは去年4月に半月ほど。
写真に写っているこのお寺がインドの金閣寺、シーク教の総本山のゴールデン・テンプル(ハリマンディル)。
周りにはグルドワラーという、シーク教のお寺があり、不死の池と呼ばれる池にゴールデン・テンプルは浮かんでいます。アムリトサルという名の由来は不死の池から来ています。
熱心な教徒はその池で、池で泳ぐ鯉と一緒に沐浴をし、体を清めます。

このゴールデンテンプルの中は実際入れるようになっていて、実質3階建てとなっており、
1階にはタブラや、アコーディオンを演奏する人達のそばに、教典が大切に祭られています。
シーク教の人はどうやら、この本がとても重要なものらしく、
夜の10時にはこの本が特定の場所に納められ、朝の4時になると、またこのゴールデンテンプルに移動されます。この儀式は毎日毎晩やっているそう。


敷地のすぐそばには巡礼者を泊める宿舎(外国人も泊まれる+無料)と、なんとこちらも無料で食事が食べれるところがあります。
シーク教はカースト制度などを否定しています。
助け合いの精神も強く根付いているのか、食堂らしきところでは、大量のシーク教徒(一般人)が皿をあらったり、野菜の皮をむいたりしてボランティアをしていました。これにはとても感心。



敷地は24時間解放していて、私も滞在中は早朝、朝、昼、夕方、夜、深夜とすべての時間帯にここを訪れました。
なんでしょう・・・早朝、大理石のひんやりとしたところにあぐらをかいてボーっとゴールデン・テンプル眺めながら、朝日の光を反射するのを待っている時間・・・。
なんだかとても幸せな気持ちになれるのです。

あの敷地内はやはりとてつもないオーラを感じました。
それは信者ではない私でも。
宗教ってものを建造物や音楽や儀式などで目の当たりすると、
そのすごさにただただ驚くばかりです。


また、不死の池の鯉が泳ぐのを眺めながら、ターバンのおじさんたちと一緒にあぐらかいて、たわいもない話をしたいもんです。